余禄

余録04

思ったこと、感じたことだけでなく、できれば、その旅の空気感や雰囲気、情感なども思い出に残したくて、書き始めたその時々の雑感や旅行余話です。

レ・グランド

レ・グランドレ・グランドのカンボジア宮廷料理がツアーの中に含まれていた。

ラッフルズ・グランド・ホテル・アンコール内にあるレストランだ。

レストランへ入ると蝋燭の灯るテーブルへ案内された。

私、夫の順に椅子が引かれた。

スープが運ばれてきた。

夫が「メニューと違うよ」とボーイに告げると

すぐに支配人がやって来た。

声をかけられたのは私だった。

「マダム、間違えてごめんなさい。」と言う。

食事が終わると日本人スタッフが来て、女性だけにプレゼントがあると言った。

小さな銀色のカボチャの小物入れだった。

あれこれ、ちょっとした心遣いに感心した。

もう一度、訪れたいレストランだ。

(2007/08/15)

アツ小学校・中学校

アツ小学校・中学校サンボール・プレイ・クックへ行く途中の道沿いにアツ小学校・中学校があった。

平成5年4月8日、UNTAC(国際連合カンボジア暫定統治機構)の任務遂行中に殉職された中田厚仁さんのご両親が建てられたものだ。

息子さんの気持ちをこのような形で継続させたご両親に頭が下がる。

校庭の隅に、日本の小学校にもあるようなトラックのタイヤが等間隔に埋まっていた。

子供たちがその跳び箱で遊ぶことができる平和がいつまでも続くようにと願った。

(2007/08/06)

オムレツ

オムレツタイ東北部スリンにあるペッカセーム・ホテルのプールサイドにあるレストランでのこと。

バイキング形式の朝食だった。

卵をその場で調理してくれるコックがいる。

ハム入りオムレツと、ベーコン入りオムレツを頼んだ。

ハムとベーコンの入った大きなオムレツがテーブルに運ばれてきた。

夫婦で顔を見合わせ、笑いながら二つに切り分けて食べた。

(2007/08/01)

串焼き卵

卵の串焼きスリンからカオプラヴィハーンへ行く途中で市場に寄った。

おばさんが串に刺さった殻つきの卵を焼いていた。

刺すのは、生卵それとも孵化寸前の卵、ゆで卵?

どちらにしても、どうやって殻を割らずに刺すのか見たかった。

(2007/07/31)

日本語ガイドMr.Akkala

Mr.Akkalaタイ国境チョメックで市場を見ながら2時間ほど時間をつぶし、ラオスの日本語ガイドが来るのを待った。

約束の14時になったがガイドは来なかった。

ようやく会えたのは14時30分。30分の遅刻だ。

ワット・プーに行くには、昼食をパクセでとる。だから昼前から国境に来ていた。タイ側のガイドの連絡ミスだとラオスのガイドは言う。 今からだとワット・プーは17時閉門だから見学するのは無理だとも言われた。

遺跡に入れなくても良いから近くまで行きたいと説得した。

パクセまでの55kmを40分で走った。平均時速は80キロ。目的地はまだ先だ。

雨季の天気は不安定で、時々、フロント硝子を雨がたたく。

路肩から落ちてひっくり返っている車の横をすり抜けた。

満員になるまで出航しない、いかだの様なフェリーに乗ってメコン川を渡った。

穴ぼこだらけの道を左右によけながら走る。それでも車が上下に激しく揺れた。

10分前に着いた。やった〜。

黄昏時の急な石段を手をつき汗をかきながら、山の中腹に建つ祠堂を目指した。振り向くとメコン川がかすんで見えた。

天上に昇ったみたいだ。無理して良かった。

遺跡の帰り道、ガイドは、薄暗くなった参道を足早に歩き、わたし達二人からあっという間に離れて行った。どうやら食堂に行くようだ。

私達のために飲み物を買いに行くんだと思った。ところが一人おいしそうにソフトドリンクを飲んでいた。

そして、食堂にたどり着いた私たちを何事もなかったかのように車へ案内した。

当初の予定より約2時間遅れの19時45分にパクセのチャンパサック・パラダイス・ホテルに着いた。暖かい夕食がとれるように手配されていた。

今日あったことを夫婦で楽しく話しながらホテルのレストランでラオビールを飲んだ。

旅を支えてくれたインター・ラオ・ツーリズムの日本語ガイドMr.Akkala。ありがとう。次回も頼むね。

(2007/07/25)

氷入りビール

氷入りビールカオ・プラ・ヴィハーン(プリア・ヴィヘア)へ行くため、タイの北部の町スリンで一泊した。

夕食後、ムーンリバーの夜景を見に水上レストランへ行った。

レストランといっても河岸に大きないかだをつないだようなものだった。

対岸を通る道路の照明灯が川面をオレンジ色に染めている。

気分は最高。

こんな時はビールだ。

氷の入ったビールが出てきた。

「あっ」と思ったが、それを取り消す会話力はない。

氷が溶けないうちに飲めば大丈夫と一息に飲んだ。

翌朝、なんともなかったのでほっとした。

(2007/07/18)

土産の値段

弥次郎兵衛タ・プロムでのことだ。

木製の弥次郎兵衛(やじろべえ)を買いたいとおじいさんに話しかけると

「6ドルだ」という。

値下げ交渉をした。

「5ドル」と言ったきり、それ以上は譲らなかった。

弥次郎兵衛を持って遺跡の中を歩いていると

女の子が同じものを2ドルで売りに来た。

遺跡の外では1ドルだった。

「こいつは必ず買う」という目をしていたのかな。

(2007/07/17)

オールド・マーケット

オールド・マーケットにあるロータスで晩御飯を食べていたら、食堂の外で大声が響いた。

通りを見てみると大きな体格の白人がルモーの運転手を怒鳴っている。

しばらくすると、その男がずかずかと店に入ってきた。

店の人に対し、まるで何か指図しているような高圧的な態度だ。

でも、ドルからリエルへの両替だった。

食堂に戻ってきて食事をする思ったのに、外で待たせている運転手への支払いを済ませると、さっさと歩いてどこかへ行ってしまった。

「彼にとって、ここはまだ植民地なのだ」と思った。

(2007/07/01)

シハヌーク・イオン博物館

廃仏今年11月、「シハヌーク・イオン博物館」がシェムリアップにオープンすると知った。

博物館には、上智大学アンコール遺跡国際調査団がバンテアイ・クデイで発掘した廃仏274体のうち常時100体と千体仏柱が展示されるという。

その新聞記事を見て、2006年8月のことを思い出した。

ツアーの中にその廃仏が保管されている上智大学アンコール研修所訪問が入っていた。

世紀の大発見、国宝級と聞いていたので、すごく楽しみだった。

ところが、廃仏は狭い部屋に重なるように置かれている。

千体仏は、建物の入り口近くの書籍紹介コーナーにさりげなく横たわっていた。

「ここにあるよ」と紹介されなければ気がつかないほどだ。

歴史的な大発見と雑然とした置かれ方、これには意外な感じを覚えた。

でも、上智大学アンコール研修所は考えていたんですね。

発見から6年、仏様はようやくふさわしい場所を得たようだ。

(2007/06/14)

地雷除去完了

地雷注意の看板2006年8月、タイとカンボジア国境にあるカオ・プラ・ヴィハーンを訪れた。

さすがに、大砲の残骸は遺跡内から撤去されていたが、道路わきに地雷注意の看板があった。カンボジア内戦の名残りだ。

先日、NPO「人道目的の地雷除去支援の会(JAHDS)」が、現地の人々と2年以上かけてカオ・プラ・ヴィハーンの地雷を除去し終えたと知った。

その範囲は、なんと甲子園球場17個分の広さになるという。本当に頭の下がる思いがする。

これで、ダンレック山脈の断崖上から眼下に広がるカンボジア平原を安心して見ることができるようになった。

うれしい知らせだ。

(2007/06/04)